
|

日本農業の中のホップ栽培
国産ホップの歴史は、北海道に於いて明治8年に海外から苗を導入し試作が始まったとの記録がある。様々な試行錯誤を経て農商務省や長野県などが試験研究に乗り出し本格的な栽培が始まったといえる。昭和12年日中戦争等により海外からの輸入が困難になり国産の振興が図られた。
長野、山梨、福島、山形、岩手、秋田などで栽培が普及していった。ただし南の方の産地は単位当たり収量が上がらなくなり産地として消えて行った、現在では山形、岩手、秋田及び北海道において栽培が続けられている。
米政策改革大綱から見たホップ栽培
平成16年度から農業政策特にも水田農業に関わる部分が大きな転換点を迎えている。米生産調整に関わる部分は農業者組織の自主的な取り組みとなり、政府助成金は減額から廃止の方向性にある。
契約栽培により米に変わりうる経営安定性を持つホップ栽培は今後大いに注目されると思われる作目である。
契約栽培としての安定形態作目
ホップ栽培は明治初期の導入時点から契約栽培として始まり現在に至っている特異な農産物である。この方式はビールメーカーとしても今後とも維持するとしており、安定的農業経営に役立つと共に、安心できる製品の供給に貢献し、双方にメリットの大きいこの契約栽培形態はこれからも維持されると思われます。
ビール戦争と国際競争(内外価格差)の渦に巻き込まれる国産ホップ
内外価格差という弱点を抱える国産ホップの最大の不安は、メーカーによっては減反が進められていると言う事です。然し当組合の契約メーカーであるキリン社に於いては、将来共に現状の維持を図って行くとの事ですので、その点での心配はありません。
国産ホップの価値観を守るのは消費者
今、国産ホップの産地は非常に弱体化しているとの認識は否めません、ホップ以外の農産物においても同様な訳ですので一概には言えないにしても、その消長の鍵を握るのは日本の消費者であります。
これまで以上に食の安全と安定的確保に、例え趣向品であるビールに対してであっても、もっと関心を払い意識を高める必要があるのではないでしょうか。 |
|